タイヘイトリオ
柴田 糸路さんは芸界入りがおそかったようですが―― 糸路 嫌いやった。 柴田 どうして? 糸路 芸人の子として、いろんな苦労をしてきたもん。 夢路 わたしより二つ上やから、そら苦労も多かったやろね。 糸路 今の父はよろしいよ、今は神さまみたいなええ人やけど、若い時分は飲む、打つ、買うで、わたしや母は苦労しましたで。なんせ水道や電気まで止められるほどの貧乏しました。そやから芸人はイヤやった。 柴田 それがまたどうして芸界入りしましたの? 糸路 もとは菓子問屋の松屋町ではたらいていたけど、自転車に乗ってワラビ餅をとりに行った時、トラックと衝突して骨つぎ屋へかつぎこまれたりしてね――。 柴田 危ないナ。 糸路 そんなこともあって、漫才は二人やけど、三人で演って新機軸を出そうと誘われました。お金がほしいから死物狂いやった。
洋児の経歴
洋児 ①西村庄司 ②1923年2月27日 ③鳥取県
「これからの日本がどうなるかわからない。どうせ戦争はこれから五年・十年と続くであろう。男子ならば当然兵隊として戦場へ行き、生きて帰れることやら、死んで帰るものやらわからないことだ。それまでの人生であるから、短かい人生なら好きなことをさせてやるのが親心ではないか。どうか親戚の人たちにも協力してやってほしい」
夫婦のなりそめと渡米
飛躍時代
第7回東宝名人会 1955年10月1日〜10日
落語 三遊亭歌太郎俗曲 滝の家鯉香落語 橘家圓蔵ロマンショー タイヘイ洋児・夢路・糸路落語 三遊亭円歌落語 桂右女助落語 春風亭柳橋舞踊 花柳壽成 寿々紀圓生
12月上席
いよいよお別れ公演 関西歌謡浪曲のトップ ロマン・ショウ タイヘイトリオ
五一郎劇団 我まゝ罷り通らぬ
中野弘子劇団 木曾川しぶき中乗新三
腹話術 チャー坊と後藤宗吾 漫 才 美田朝刊・夕刊 音楽列車 サックス 井上耕 ドラ厶 今井眞理子 漫 才 河内家芳江 桂三五郎 東京ワン・ツー・スリーボーイズ あづま京一 京二 京三 三味線コント 富士一郎 浅草春千代
「オープニングテーマ」
洋児「ロマンショーです~」またも出ました、ロマンショーいつもニコニコ朗らかに~糸路『夢路さん』、夢路『オイヤ―. 』洋児『糸路君』、糸路『アイよー!』糸路・夢路『洋児さん』、洋児『どないした』時間来るまで、お楽しみタイヘイ・トリオの、お笑いだ~
「エンディングテーマ」
それじゃここらで、それじゃここらでェ ええ、あんあんあ~あああああ~ サヨウナラ~
一門のこと
じゅん、長作正児のコンビは誕生したけど、長作が入ったレツゴー三匹はまだオーケーとってません。そんなころころころころメンバー変わるの使えんて言われるに決まってます。信用問題です。さあ、どうする、また一からや。したら長作が「正児さん、 どこ行ってもあんたレツゴー三匹使ってもらえないのは何でやの何でそんな嫌な思いせんにゃいかんの」「ルーキー新一の弟やいうことがひっかかるんよな」「じゃあ、ひっかからんようにしようよ。」 「何ぞいい方法ないか、そら前向きの姿勢、ひっかからんようにするような何かええ方法があるか」「大阪で一番大きなプロダクションが松竹芸能や。その松竹芸能で一番売れてるのが太平トリオ。一番実力者、太平トリオ。人気のあるのが太平トリオ。その太平トリオのリーダーの洋児先生、実は僕の師匠や。僕は洋児先生の弟子や。家へ二年間住み込んで家で生活をした。 だから三人ともあの太平トリオの洋児先生の弟子になろうよ。 レッゴー三匹太平トリオの弟子やと、あの洋児先生が松竹芸能に言いに行ってくれたら松竹芸能も使ってくれるんと違うかい「おまえ太平トリオの洋児先生知ってるのか」 「知ってるがな、二年家へ住み込んだ。 「それはええ考えや、あの先生は実力者や。 あの先生が言うてくれたら絶対使ってもらえるけどあかんわ。 「何であかんの「兄貴のルーキー新一がな、金もうけしてるときの金もうけも大きかったけど借金も多かったわ。いろんなところに借金してる。 洋児先生にいっぱいしてるそうや。 あの先生に一番借金してる。ところがあの先生人がええやろ、な、何も言えへんから一番不義理してるはずや。ルーキー新つぶれたぞ、 借金減ってへん、ふえてるはずや、その一番迷惑かけてるルーキー新一の弟が弟子にしてください、これは言えんじゃないかい」「お兄さん、そんなことしてたん」「してたんよ」「あかんわなあ、洋児先生はそういうことは非常に嫌う人やから」 「そうやろ、あかんがな、どうしよう。」
「先生、お願いがあります。 道頓堀の角座の楽屋で頭を下げました。「何やおまえら三人、 「何の用や」「はい、レツゴー三匹という名前で三人トリオで漫才やっております。実はこの長作は洋児先生の弟子やったとか聞きました。 三人とも先生弟子にしていただけませんか。 太平トリオの弟子になって松竹芸能の舞台で漫才の勉強がしたいんです。」「うーん、おまえルーキー新一の弟と違うんか。」「はい、そうです、ご存じですか。 先生、ルーキーの弟だったらやっぱりだめですか」「ルーキー新一はのう、ええ芸人やったのう。 関西一、日本一になるとわしゃ惚れとった。 芸能界もええ人材つぶしたのう、ばかなことしたよ。 ルーキーも私生活でちょっと失敗したからのう。あのやる気のあるバイタリティーに富んだ明るい三枚目、貴重なもんやぞ。 おまえ兄貴に負けんと汗を流してやれるかい。」「え?」 「三人仲ようやれるか。舞台の上、芸の上のけんかはええ。でも舞台おりてきて相 方に何かあったら手を差し伸べてやれるか。 昔やすしと漫才やっとったの知ってる、威勢のいい漫才。 芝居もやっとったの知ってる。それが自分のキャリアやと思って偉そうな顔するのやったら弟子にせえへんぞ。おまえが一番下。人と人とのおつき合いは、まず頭を下げることから始まる。 ええか、もう一つ言うとく。芸人やからてちゃらんぽらんなことするな。 世間様から後ろ指さされて、「そんなもんやで、この芸人というのは』と後ろ指さされるような人間失格の行動とるんやったら許さん。守れるか」「全部守ります。」「よし来い、太平トリオ、太平トリオの弟子や、レツゴー三匹、きょうから 太平トリオ弟子や、来い。」先生が手を広げてくれました。
一世風靡時代
ーー千日劇場は、もちろん一ヶ月を十日間に割って、上中下席の興行だと思うんですが、お客さんを呼べる芯になる演芸人というと? 田中 ミスハワイ・暁伸、タイヘイトリオ……。 水木 やっぱりね。光晴はん――松鶴家光晴・浮世亭夢若という、その三組がそれぞれ十日間の芯なったな。時々、東五九童・松葉蝶子もちょこちょこ出てたんを覚えているわ。 米朝 それに松葉家奴はんね。 田中 タイヘイトリオ、ハワイ・伸の師匠方のときはけっこうお客さんが多かったなァ。光晴・夢若師匠の時はお客さんの入りがちょっと……。 水木 しゃべくりばっかりやったからね。 米朝 そこに松葉家奴はんが出番に入ったりね。 水木 そうそうそう、奴さんはわりかた人気があったでっせ。「魚釣り」の踊りとかをやるわけです。
タイヘイトリオの舞台 タイヘイトリオといっしょの舞台に出てびっくりしたんは、三人とは別に袖でクラリネット吹いとじいてるおっちゃんがおったことです。これが糸路さんの旦那さんです。 ぼくらね、舞台だけ見ててどうも不思議でしたよ。つまり「♪またも出ましたロマンショウ」いうて始まりますわね。で、洋児さんがいきなり「潮来笠でーす」ってギター弾きだしはるんですが、そのギターがメロディをあんまり弾いてない。 ジャンジャカジャンジャカ、上手いギターやないんですよ。でも、聞いてるとちゃんと「潮来笠」が聞こえてくる。おかしいなと思てたら、袖でクラリネットがパパッパパッパって吹いてるんですよ。それが自然に聞こえるから、ギターが補助するだけでよかったんやね。だから、タイヘイトリオは三人やなく四人やったんですね。 あの人は絶対舞台には出ずに袖でクラリネットを吹いてはった。これはね、ノックさんもマネージャーの鳥居さんも言うてたけど「あれがすごいんだ」と。つまり客には絶対に見せずに、バックで補助してる、その力がすごいって言うて。だからトリオっていうのは、舞台に出る三人だけやなくて、どんな形で補助するかということが必要やちゅうのをタイヘイトリオに教えられました。
上 岡 それからタイヘイトリオ(タイへイ糸路・タイヘイ洋児・タイヘイ夢路、のち 洋児の抜けたあとにタイヘイ原児が入る)、〽またも出ましたロマンショウいつもニコニコ朗らかに····、 余興やなんかで、タイヘイトリオのあとはやりづらかったですね。 草木も生えンというね(笑)。横山ホットブラザーズなんかのあとも嫌でした。客が何をいうても聞きませンもん。大阪の太閤園のようなフリーの野外みたいなところでは、我々、漫画トリオのようなしゃべりの芸は声の調子をかえられませんから、音もの人はいい。ぼくら大声でパンパカパー ン! といっても知れている。
米 朝 また、あの夢路さんという人はもう無闇やたらにボリュームを上げさす。そない上げンでもええというのに、「まだちょっと高くしてほしい」という。
上 岡 演歌歌手の都はるみさんに聞いた話ですが、「私のところの母親がタイヘイトリオが好きでして、私がデビューする時に夢路さんのうなりをやれ」と。
米 朝 (笑)。
上 岡 「ですから私の「アンコ椿は恋の花」の「アンコォーオオオー、というのは夢路さんで す」「それ夢路さんにいうたことがあるの?」「いいえ、いうてません」「そら一ぺん夢路さんにいうた方がいいよ」(笑)。
米 朝 一緒になることはないわな(笑)。
上 岡 だから都はるみのうなりは、それこそ作曲家の市川昭介に習ったわけではなく、母親がタイヘイトリオが好きで、それを教えた。これは芸能史にとっては貴重な証言(笑)。 一べん、 夢路さんにいうたげなイカン。
米 朝 おかんもあんまりええとこへは行ってない(笑)
上 岡 ええ、行ってない(笑)。 好きでしていて、 夢路さんの、「どう、このコンデェーション……」というのがね。 面白かったのはタイヘイトリオの場合、舞台袖でクラリネットを吹いてたやないですか。あれは糸路さんのご主人やったという。
米 朝 そうそうそう・・。
上 岡 ということは、あれはトリオではなくて四人で舞台へ出ていって、「(ソッと) ロマンショ ウで~す」といってギターを弾き出すと舞台袖からクラリネットも吹き出す。 客としてはものすごいボリューム感を感じる。それで 「「潮来笠」です」というても洋児さんのギターは頼りないけれど、舞台袖からクラリネットが聞こえて来るから、客は、「いいなあ」。あれはいい演出やったなあと思った。
米 朝 あの人はもともとバンドマンやったンですがね、舞台へ出るのが嫌やといった。
上 岡 舞台袖で、スリッパを履いたままクラリネットを吹いていた(笑)。ですから、ぼくはチャンバラトリオも四人なのは、まァいいかと。 タイヘイトリオも四人やねんから。あれはバックバンドと思えばいいかとね。
米 朝 あのタイヘイトリオのテーマソングはあの人が作曲したらしいです。 よく暁伸が、「洋児は楽譜が読めねや」とボロクソにいうとったなあ。
タイヘイトリオの分裂
“芸界の事業家”雲隠れ 給料500万未払い キャバレー倒産 元歌謡漫才タイヘイ洋児さん
【大阪】歌謡漫才「タイヘイトリオ」の元リーダー、タイヘイ洋児さん(五四)(本名・西村庄司さん)が経営していた大阪・堺市内のキャバレーを先月中旬に閉鎖、約五十人の従業員の給料一か月分、推定五百万円を未払いのまま姿を消している。女子従業員三十数名が堺労働基準監督署に訴えたが、社長の洋児さん自身が出てこないことには手続きもとれず「このままでは、私らは生活できない。社長の口から納得行く説明を聞きたい」と途方に暮れている。 洋児さんは三年前に店を購入した際、先妻夢路さんの家を担保に入れたり、友人、知人から数億円の資金を集めたりしたといわれており、従業員の給料のほかにも多額の借金を抱え、債権者の追及から逃げているらしい。 洋児さんが経営していたキャバレーは堺市の「紅馬車」。洋児さんは芸能界仲間では”事業家”として知られ、これまで南区内で鉄板焼き屋やアベックホテルを経営。「紅馬車」は四十九年三月に買い取って営業を始めたが、従業員の話では、昨年秋ごろから目立って客の入りが少なくなり手形で給料を払うなど経営が悪化した。 給料日は毎日七日と二十二日の二回払いだが、三月二十二日、四月七日の二回分が支払われず、店は四月十八日に閉鎖、洋児さんは翌十九日、従業員の前で「二十日には間違いなく払う」と涙を流しながら約束したが、所在不明になった。 洋児さんは、夢路さんとの夫婦漫才で三十年前にデビュー、その後、夢路さんの姉の糸路さんが加わってタイヘイトリオを名乗り、浪曲漫才で売り出した。最近は歌謡漫才にかわり、ギターと三味線の伴奏で浪曲、歌謡曲をまじえた一風変わったコントを演じていた。しかし、昨年秋、夢路さんと離婚。トリオを解消した。
借金は一億円を超す 倒産、雲隠れの洋児さん
【大阪】歌謡漫才「タイヘイトリオ」の元リーダーらタイヘイ洋児さん(五四)(本名・西村庄司さん)が経営していた大阪府堺市中之町東三、太平観光会社のキャバレー「紅馬車」は、同社関係者のその後の調べで女子三十四人、男子六人の従業員とバンドマンら計約五十人分の給料(約五百万円)未払い他、弘容信金からの三千万円をはじめ、大阪、堺市内の金融業者から二百万ー四千万円ずつの資金を借り、合計一億円を超す借金があることがわかった。
10/1~10日の10日間は日替わり特別ゲストが出演! 出演予定:雷門助六(4・5日)、桂朝丸(7日)、タイヘイトリオ、上方柳次、小島宏之とダイナブラザーズ、若井けんじ(何れも日未定) この他にも思わぬゲストが来るかも?
新生トリオ結成以降
♪またも出ましたロマンショー♪ ではじまるテーマソングを聞くとゾクゾクしてくるから不思議だ。 これは、ハワイ・伸等、浪曲出身の芸人に共通していて、やはり出てきて「テーマソングを歌う」ということ自体が、ナンセンス加減がおもしろいのも然る事ながら、料理どきの食前酒に似て「笑いたい欲求 たのしみたい欲求」を促進させる働きがあるからだろう。 そういう意味ではテーマソングで始まる漫才は、本題前に心構えやらキャラクター把握が容易にできるから、やるほうも見るほうも楽といえる。しゃべくり漫才ではいきなりメインディッシュからきて戸惑うこともあるし。 ところでタイヘイトリオであるが、このトリオ、「テーマソング」 プラスアルファー、出からしてプロのにおいがする。これはおいしい。 芸人然としていてプロ意識がかいま見えるから、見る側も「プロの客になってやろう」という意識が芽生えてくる。そして、そうして見ると「演芸を見ました」とも思わせてもらえたりする。これはうれしい。残念ながらこの頃寄席に出演していないが、かつての角座ではそういうイイ思いをけっこうさせてもらった。 最近は時として楽屋の時と同じような格好で舞台に出る新人がいて、ひどいのになると千円二千円のTシャツ1枚で出てくる。 タイヘイトリオはそういった新人がぼこぼこ出てくる中で、プロの孤塁を守っているかのようにも見える。決して古いわけではない。 プロなのだ。かつて夢路はトーク番組によくゲスト出演していたが、若いメーンを相手に、そのレベルに合わせて話をし、プロ然とした部分がテレビ番組の中では浮いてしまいがちなのは否めないが、ひとり孤軍奮闘していた。夢路はかわいいのである。 そういえば以前、朝日放送の「ホリデーワイド」で、漫才の一門特集があって、「タイヘイ一門」が勢揃いしたことがあった。レツゴー三匹からザ・ぼんち、ジミー大西、幸助・福助ほか弟子が集結した。客分としてチャンバラトリオも出演。そしてその日の司会がタイヘイの孫弟子にあたるサブロー・シロー。 その時の夢路はもう子供であった。弟子たちに機嫌をとられ、相好は崩れっぱなし。 そして機嫌をとられることをさも楽しんでいるかのようであった。糸路までもが喜色満面であったのがおかしい。原児は居心地悪そうに座っていたが。 タイヘイのドンに幸あれ!
夢路の晩年
2014年、第18回「 上方演芸の 殿堂 入 り 」に選出される。同時受賞は、二代目平和ラッパ。
7月31日に肝硬変のため、大阪市内の病院で亡くなった浪曲漫才「タイヘイトリオ」のタイヘイ夢路(たいへい・ゆめじ、本名辻本節子=つじもと・せつこ)さんの弟子、漫才コンビ「ザ・ぼんち」が、訃報が流れてから一夜明けた7日、所属事務所を通じてコメントを寄せた。 里見まさと(66)は「この世界に生まれさせていただいた恩師との別れに、言葉がございません。ほめられたことより、若い頃にしかられた事が、なぜか浮かんできます」とコメント。高校を卒業してすぐ、71年にトリオへ入門した当時へ思いをはせ、師匠をしのんだ。 一方、もともとは役者志望だったが、高校の同級生まさととともにトリオに師事したぼんちおさむ(65)は「夢路師匠、お疲れさまでした。そして、ありがとうございました。弟子でついてる頃、いろいろ失敗もしましたが、いつも優しく見守っていただきました。ほんとにありがとうございました」と感謝。漫才ブームを経て、いったん役者業へ軸足を置いたころも、温かく見守ってくれた夢路さんへの思いを寄せた。 夢路さんは、タイヘイ洋児さん、タイヘイ糸路さんとともに、「タイヘイトリオ」を結成。60~70年代に、独特の浪曲漫才として、一世を風靡(ふうび)。「またも出ましたロマンショー」で始まる歌と、漫才で人気を集め、上方演芸史の一時代を彩った。 派手な衣装と、歯切れよいトークで、テレビのバラエティー番組でも活躍した夢路さん。晩年は、NHK連続テレビ小説などにも出演し、女優としても活躍した。一方で、ぼんちの2人や、「レツゴー三匹」を育て、孫弟子も含めて一門には、80年代の上方漫才ブームをけん引した太平サブロー・シローらもいる。
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