. The tokyo manzai collections – 東京漫才のすべて The tokyo manzai collections
The tokyo manzai collections – 東京漫才のすべて The tokyo manzai collections
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湊家小亀

十二階歌舞伎の幕間余興は、衰残の緞帳役者たちと異つて太神楽、活惚のベテランのみが出演してゐた。アトラクションの語は、未だ当時の日本には、海越えて渡来してゐなかつたが、茹蛸のごとき禿頭をそのまゝ己の芸名とするこの江戸生粋の老芸人はげ亀は、ビール瓶の曲技に長じ、また先代岩てこバンカラ辰三郎に比肩する洗練軽快の都々逸をよくした。晩年は港家小亀と袂を分つて、先代バンカラ新坊と共演してゐたが、昭和初頭、浦安在の興行中、流行の感冒に冒されて両名相次いでその地に病歿したとか聞いてゐる。

港家小亀は関東節及び新内くどきを得意として、駅売の函のやうな小型卓子掛を首から吊して、五目浪花節のなんせんすに十二階随一の人気者としてよく全浅草を圧倒してゐた。少うし舌を丸めて甘へるがごとく喋る調子と微笑するたびに妖しく金歯の光るところとに小亀特有の魅力があつた。現下、花柳風俗スケッチの漫謡に都鄙妙齢の浮気女を普ねく魅了し去つてゐる、かの柳家三亀松はこの小亀一門の出と聞くが、しかしながら三亀松の色気と気障とは、小亀が芸風の上には少しも見られず、むしろ私をして云はせれば彼こそは大正年代の川田義雄であつたとし度い。一人舞台の力演に終始する点も両者は太だ共通してゐるし、川田が昭和戦前人気高潮の虎造節を自家薬籠中のものとしたことゝ、小亀が当時の大御所たりし先代楽遊の節調を好んで口にしたところも亦太だ相似てゐる。

湊家小亀といえば、暮春の空に凌雲閣の赤煉瓦、 燦爛 ( さんらん ) と映えたりし頃、関東節と「 累身 ( しじみ ) 売り」の新内をいや光る金歯の奥に諷い、浅草のあけくれに一時はさわがれし太神楽の、そののち睦派の寄席にも現れ、そこばくの人気を得しも、一人舞台の熱演にすぎ、あれはばち(場違い)よと、一部のお仲間うちにはとかくさんざんにさげすまれたり。 遮莫 ( さわれ ) 、その小亀一座にはがんもどきと仇名打たれし老爺あり、顔一面の大あばた、上州訛りの 吃々 ( きつきつ ) と不器用すぎておかしかりしが、ひととせ、このがんもどき、小亀社中と晩春早夏の花川戸東橋亭の昼席――一人高座の百面相に、その頃巷間の噂となりし小名木川の首無し事件を演じたりけり。まず犯人を逮捕せんと捕縄片手にいきまく刑事、お釜帽子も由々しき犯人、捕縛現場の赤前垂もなまめかしき料亭仲居と次々に扮したるいや果てが、水上たゆたと 泛 ( うか ) びたる女の生首。何しろ、じゃんこ面の見るもいぶせき男だけに、この生首、物凄しとも物凄し、いやはやぞっとおののきし記憶あり。百面相も数々あれど、かかるぐろてすくなるはまたとあるまじ。まずは他日の思い出までに一筆ここに誌すとなん。

予て当市木村興行部で招聘交渉中であつた東京浅草の名物男湊家小亀の一行(男優六名女優八名)は、愈来る六月二十日横浜発の春洋丸に乗込来布と決定した旨最近一行より木村興行部へ確報があつた春洋丸は二十八日当地着の予定である。湊家小亀の一座は浅草で大人気を博して居る、色ものなら何でもござれの一座である。

何でも御座れの湊家小亀一座 演芸の種類と一行の顔触れ 浅草名物男湊家小亀が男俳六名、女優八名の色物一座を引つれて來布、近くホノルルで賑やかな興行を打つことは既に紹介したが、一座の演芸種目として通知してきた所を見ると実に賑やかだ 女道楽、歌道楽、所作事、都々逸、小原節、米山甚句、磯節踊、串本節、鴨緑江節踊、追分、袈裟姿踊、大漁節、中山節、花笠節、安来節 その他諸国名物踊お好み次第、掛合曲取り、新旧喜劇、掛合茶番、高級萬歳、早替り大芝居、楽屋総出掛合喜劇等々とある。これこそ本当の何でも御座れの一座だ 鳴物入りの大騒ぎで見物人の心を有頂天にせうといふのが眼目らしい。緊縮、不景気、失業といふ声が人の心を滅入らせ様として居る今日この頃の景気附にはこんな一座の來布もいいだらう。湊家小亀といふのは珍無類の演芸を呼びものに日本内地は勿論、朝鮮、台湾を巡業し大好評を博した丸一演芸團大神楽界の家元で 震災後は浅草、昭和公園劇場、横浜旭座等を根じろに京浜人士の大向ふを唸らして居たものださうだ。一行男女優の顔触れは次の通り

女優 △藝名港家美東子(本名木村たま)△同美西子(疋田とし子)△同小梅(磯むめ)△同米子(青木よね)△同小花(佐藤なつ)△同美勢子(津久井ふみ)△同茶良助(石谷きみよ)△同定奴(阿代田はるの) 男優 △藝名港家小亀(本名後藤長吉)△同亀太夫(小澤清太郎)△同幸昇(関根幸次郎)△同松太郎(千葉留吉)△同萬幸(船越益治)△同市郎(飯塚一郎)

新渡米港家小亀 今回新渡米の港家小亀一行の美人連来る土曜及日曜両夜家庭学園ホール興行の筈なるが曲芸その他滑稽喜劇に珍部類の演芸を御覧に供すべしとの事とて待たれて居る

先頃米国から帰朝した港家小亀、今は寿座に出演中だがロスアンゼルスには弟子を三人残してあるので日本楽器の仕入れが済み次第また渡米の予定、但し布哇には悪い興行師がゐて酷い目に遭ふから皆さん行く時には気をつけなさいと仲間に頻りに警告してゐるのは、余程酷い目に遭つたらしく小亀曰く 「ハワイ子には旅をさせるなですよ」

早い夕食を終えて女房と、近くの大塚鈴本へ。今夜は太神楽大会。去年見損っていたものなり。入って行くとすっかり 年老 ( としと ) って見ちがえてしまったバンカラの唐茄子が知らない男と獅子をつかっている。楽屋で時々「めでたいめでたい」というような声をかけるのがひどく古風でおもしろい。続いて唐茄子がやはり知らない男と「神力万歳」というむやみに相手の真似ばかりしたがる可笑味のものを演る。理屈なしに下らなく可笑しい。温故知新というところだろう、まさしくこれなどは。そのあといろいろ間へ挟まる曲芸の、五階茶碗や盆の曲や傘の曲やマストンの玉乗りやそうしたものの中では丸井亀次郎(?)父子の一つ 鞠 ( まり ) ががめずらしく手の込んだ難しい曲技を次々と見せてくれた。あくまで笑いのないまっとうな技ばかりで、その技がみなあまりにもたしかなので好意が持てた。近頃こんな上手がでてきたのは頼もしい。 若い海老蔵が「 源三位 ( げんさんみ ) 」を演るとて、文楽人形にありそうな眉毛の濃く長いそのため目の窪んで見える異相の年配の男を連れて出てきた。いずくんぞしらん、これが往年の湊家小亀だった。何年見なかったろう私はこの男を。その間の歳月がまるでこの男の人相を変えてしまっているのだった、でもだんだん見ているうちに額に 瘤 ( こぶ ) のあるなつかしいあの昔のおもかげが感じられてきた。それにこの頃少しも高座へ出ないが生活も悪くないと見えてチャンとした 扮 ( こしら ) えをしていた。艶々と顔も張り切っていた。少なからず私は安心した。浅草育ちの私にとって湊家小亀は十二階の窓々へかがやく暮春の夕日の光といっしょに、忘れられない幼き夢のふるさとである。感傷である。新内もやらず、得意の関東節も歌わなかったが、そうして衰えは感じられたが、昔ながらの猪早太はなつかしくうれしかった。 ストンと投げた のあとへ、 あいつァ妙だこいつァ妙だまったく妙だね――の踊りの繰り返しにもめっぽう嬉しさがこみ上げてきた。 裸で道中するとても――の飛脚のような振りをするところも絵になっていてよかった。

「あんでも東京のえれい芸人だつてよオ うめえもんでねえか」と慰安会で村の人たちに随喜の涙を流させたとか 戦災で道具をすつかりなくしたので本職はここのところ出来ないらしいが 芋買出しで一杯の水郡線をチヨクチヨク上京するあたり六十三とは思えぬ元気 いまでは専ら釣倶楽部関脇の腕前を宿の傍の小川に住む鰻どもに見せてゐる

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