. Trivia in Kyoto
Trivia in Kyoto
Trivia in Kyoto

「千本通」とは、何が千本なのか?

碁盤の目の如く、東西南北に通る、京都の “通り”。その通りに付けられた名前には、どうしてそんな名前が付けられているのだろうと、一度、疑問に思ってしまうと、どうも気になって仕方なくなる通りがあります。例えば「千本通(せんぼんどおり)」。シンプルな通り名ですが、シンプルが故に “千本” が気になってしまう。通りが千本もあるわけないし…。いったい、何が千本もあったのでしょうか? 今回は名前のいわれが気になる「千本通」の話をしましょう。

「千本通」は長〜い通りです

もともとは平安京のメインストリート

朱雀大路は死者を運ぶ通り

「千本通」と呼ばれるようになった理由とは?

関連記事 京都怪異譚 その26『鬼に盗まれた琵琶』 六道まいり~ご先祖の霊が帰ってくる 西寺は存在した! ~何故、東寺は栄え、西寺は衰退したのか 左京区と右京区、どっちが右? 京都怪異譚 その28『菅原道真怨霊伝説 〜学問の神様の復讐』 シリーズ『一風変わった京の地名』その13 剣豪・宮本武蔵 ~生涯で最も重要な決闘とは? 京都に向かうことを何故“上洛”と言うのか? 京都怪異譚 その30『鬼の腕を切り落とした宝刀』 京の七不思議 その9『堀川通の七不思議』 登天石 ~道真公の霊が現れた石 歯形地蔵~妻に噛みつかれたお地蔵さん コメント

この話どこかおかしいと思いませんか。卒塔婆が今のように墓地に並ぶようになったのは江戸時代でしょうし、卒塔婆が冥府にいる人を慰めるために変質したのは早くとも15世紀くらいではないでしょうか。 もともと、仏舎利をかたどったものが、やがて木で作られるようになり、仏舎利をかたどった板になり、それも今私たちが目にする、長細い物ではなく、もっとずんぐりとしたものであったといいます。仏に祈るものであったのが、いつの間にか、亡くなった人を供養するものに変化してきました。 怪僧日蔵の話は、漫画のような奇天烈な話が多く、いい加減なものといっても良いほどです。 千本通りの話も元禄時代に出版された『山州名跡誌』の話が元になっているのではと思えるのですがそこでは、冥途での延喜帝の苦しみを聞いてそれをはらうために、蓮台野に千本の卒塔婆を立てたという話が載っています。延喜帝の話が、分かりやすい醍醐天皇になり、菅原道真など誰でもがある程度知っている人にかわり、適当な話がでっち上げらたと思われます。 どちらにせよ、卒塔婆の用いられ方が江戸的というか近代的といういみで時代的に錯誤していることが、この話が江戸時代くらいに作られた嘘をもとにしていると断言しても良いかと思う次第です。私たちが知っているこのての話は江戸時代に醸成されたものが多く、そうした意味でも江戸時代についての考証がもっと進めばいいのにと思う次第です。 また、蛇足ですが、平安京の外側は、藤原貴族の屋敷が立ち並び、蓮台野から連想される死骸を葬った場所というような暗い場所のようにとらえられますが、蓮台野に隣接する北野や平野、柏野、点野などは皇室の御料地であり、一般庶民にかかわるようになったのはずっと時代が下ってからのことと思われます。 私たちが少なからず影響を受けている江戸時代の連想で、古代を考えると面白いけれど、ちょっとへんてこりんなものができてくるような気もします。

西鶴好き様 ご意見、ありがとうございます。いろいろとお詳しいようで、感心致しております。 ここで私が書いた“千本”の由来が千本の卒塔婆だというのは、よく言われている説であって、他にも「桜の木が千本あったから」という説や「平家物語に出てくる卒塔婆流しのエピソード」が由来になっているという説もあるようです。何が事実であるかは私にはわかりませんが、由来というものは史実でないことも多く、確かにでっち上げもありますし、辻褄が合わないことがよくありますよね。でも、それが由来というものに対する面白さであると私は思っています。 因みに、卒塔婆が一般の墓地に立てられるようになったのは、仰る通り、江戸時代になってからだと私も認識しておりますが、卒塔婆自体は、12世紀末に書かれたとされる、六道のひとつである“餓鬼”の世界を描いた「餓鬼草子」という巻物に描かれています。ですから、私は“千本の卒塔婆”というのを江戸時代に作られたウソをもとにしているとは断言できないと思うのですが・・・。 西鶴好き様のコメント、深く感謝致しております。ありがとうございました。

管理人さま 丁寧なコメントありがとうございます。 どれがホントのことかわからないのが、また面白いところかもしれませんね。 千年もの間、多くの人が住んでいたのですから、いろんな話が積み重なってそれが、一気に混合されたりします。 こんなことをいうのも、物ごころついてからわずか50年余りしか経っていないのに、まさに「昔ありし人はまれなり」ということを実感するからです。中高生のころ、方丈記を読んで、「そんなことはないわな」とその記述がオーバーだなと思いましたが、実際には誇張もなく、おおいえすたれてこいえとなる、といった有様です。 人の記憶も思いも時とともに変わっていくのを実感しているところです。 私は、京都に住んでいるのですが、小学生のころカエルを取りに西大路辺りまで行きました。田んぼに足を取られて恐ろしい思いをしたことが懐かしい思い出ですが、そんな田んぼなどどこにもなく、イズミヤというスーパーやいろんなビルが建って、あれは夢の中のことかと疑われるほどです。 また、機会があれば、いろいろな話をお聞きしたいものです。京都市上京区には、ありきたりな雑誌に載っていない、町に潜むディープな話を知っている人がおられます。安物の推理小説よりも矛盾が少なく面白いですよ。 なにかとNHKで放送される京都御所番組を見たりすると、今が平安時代と連綿と直接つながっている錯覚に陥ってしまいます。しかし、天皇は江戸時代には清涼殿にもうお住まいではなかったことや今の建物は幕末に建てられたこと、今の紫宸殿は松平定信が当代の学者に平安時代の建物を調べさせて作らせたことを思うとちょっと違う感覚を持ってしまったりしますね。

西鶴好き様 コメント、ありがとうございます。 京都に対する思いが強くお有りのようで、そのような方からコメントを頂けたことに嬉しく思っております。 千年の都、京都。この都がいかにして生まれ、どのような変遷を辿ったのか、その興味は尽きることはありません。私には通り一遍のことしか書けませんが、またお読み頂ければ幸いです。

コメントをどうぞ コメントをキャンセル 最近の投稿
  • 平等院 ~藤原頼通が求めた極楽浄土の世界
  • 東福寺 ~脈々と受け継がれてきた禅文化に触れる
  • 京都怪異譚 その30『鬼の腕を切り落とした宝刀』
  • 木屋町通 〜テロリストが暗躍した幕末の京都
  • 神護寺 ~2人の傑僧が交流したお寺
最近のコメント
  • 西田幾多郎 ~「哲学の道」で思索にふけった偉人 に cyber-e より
  • 京の七不思議 その15『金戒光明寺の七不思議』 に cyber-e より
  • 京の七不思議 その15『金戒光明寺の七不思議』 に cyber-e より
  • 平等院 ~藤原頼通が求めた極楽浄土の世界 に cyber-e より
  • 平等院 ~藤原頼通が求めた極楽浄土の世界 に cyber-e より
📎📎📎📎📎📎📎📎📎📎