. 5 草加宿-粕壁宿 - tyoyxf1の日記
5 草加宿-粕壁宿 - tyoyxf1の日記
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奥の細道 一人歩き 5 草加宿-粕壁宿

虎屋脇本陣は、現「三枡屋」というそば屋辺りで山崎次兵衛が務めた。玉屋脇本陣は、今は「深野造園」になっている。この脇本陣は深谷彦右衛門が務めた。玉屋脇本陣跡のすぐ横が問屋場跡で現在は「若松印刷」になっており当時は江沢太郎兵衛が務めた。大松本陣から問屋場までわずか 100 メートル足らずの間に本陣、脇本陣 2 軒、問屋場が集まっている。当時は越谷宿の中心地であったのだろう。それにしても本陣がパン屋に、脇本陣がそば屋や造園に、問屋場が印刷屋に変わっているのを見ると時代の流れを感じざるを得ない。時の流れと共に街の様子も人のこころも変わっていく。これから先は今までの数倍の速さで時代が変わっていくのだろう。ただ、どんな時代になろうとも昔の人が育んだ日本のこころは大切にしたいものである。

少し歩くと左手に「照光院」という寺がある。ここは真言宗の寺で梵鐘は安永八年( 1779 )の鋳造だそうだ。さらにその先を右に入ると「香取神社」がある。香取神社は、大沢の総鎮守で越谷市の㏋には、「創建は、「明細帳」に応永年間( 1394 ~ 1428 )と記載されています。中世はこの辺りは下総国に属していたことから、下総国一宮香取神社を村の鎮守として

勧請(かんじょう)し、鷺後の地に社殿が建立されましたが、後に奥州街道の整備に伴い、寛永の頃( 1624 ~ 1644 )に今の地に移築したといわれています。」と記されている。

旧道を行くと右手の祠の中に宝永七年( 1710 )建立の青面金剛像庚申塔が置かれている。

神社から 1 キロばかり行った辺りには「間久里の立場」があった。八軒の茶屋が軒を連ねており、中でも秋田屋には参勤の佐竹候が必ず立ち寄り名物の鰻の蒲焼を食したのだそうだ。秋田屋には藩主専用の座敷「秋田炉(しゅうでんろ)」があったのだという。

旧道は、この先国道 4 号線に合流し、さして見るものもなく歩いていくとせんげん台の先で新方川に架かる戸井橋を渡る。新方川は、元は千間堀と呼ばれ越谷市と春日部市の境である。

春日部市に入り、さらに 4 号線を行くと備後東四丁目辺りに地蔵立像二体が安置されている地蔵祠がある。さらに約 1 キロ先に「史跡備後一里塚碑」と刻まれた碑が置かれている。江戸・日本橋から八番目(八里目)の一里塚である。

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