. 600mも飛んだ逸話!聖徳太子と同一人物説がスゴイ | 歴史専門サイト「レキシル」
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【蘇我入鹿】首が600mも飛んだ逸話!聖徳太子と同一人物説がスゴイ

? 文頭に「推古天皇の百歳(!)の年に、推古天皇の命令で癸酉(613年)に聖徳太子が書いた」とあるが、『日本書紀』の記述を信じるのであれば、推古天皇は【 613年 】に「59歳」であり、年齢がおかしい

? 欽明天皇の御代に、仏教伝来時にまだ生まれていないはずの推古天皇へ、欽明天皇が仏教を興隆するように伝えたとしている

? 推古天皇や聖徳太子が生きた時代には使われていないはずの用語が使われている

? 「元興寺の縁起」と言いながら「豊浦寺の縁起」が延々と書かれている

蘇我入鹿の子孫は、今どこで何をしている? 「蘇我入鹿」の子孫から、「内閣総理大臣」が2人も出ていた 蘇我氏の血筋は「天皇家」にも伝わっている 「乙巳の変」とは何か?なぜ「蘇我入鹿」は暗殺されたの? 蘇我入鹿暗殺の理由!中央集権化に蘇我氏は邪魔だった 「中臣鎌足」が「蘇我氏」に抱いていた恨み 「中大兄皇子」が「蘇我一族」に抱いていた恨み 『蘇我入鹿』について「ひとこと」言いたい!

こうして疑心暗鬼が募っていったうちに、【 643年 】入鹿は遂に「山城大兄王」を攻めて「上宮王家」を滅ぼしてしまいました。

645年 】に「乙巳の変」が成功したことで一番得をしたのは、蘇我氏にとって代わり政権中枢に食い込んだ「中臣鎌足」だったのですから。

まとめ
  1. 「乙巳の変」で暗殺された「蘇我入鹿」。斬られたその首は「600m」も飛んだと言われている。各地に「入鹿の首塚」があるが、おそらく入鹿を慕った領民が、供養のために首塚を建てた。入鹿が死んだ地から離れた場所につくられた首塚は、「首が600m飛んだ」という荒唐無稽な逸話のもとになった
  2. 作家「関裕二」が著書「聖徳太子は蘇我入鹿である」の中で「聖徳太子と蘇我入鹿は同一人物」と主張している。しかし可能性は限りなく低い
  3. 蘇我入鹿の直系子孫は残っていない。しかし「入鹿」の従兄弟「蘇我倉山田石川麻呂」の姉妹と、「中臣鎌足」の子「藤原不比等」との間の子孫が今も続いている。元総理「近衛文麿」「細川護熙」が「石川麻呂」の子孫。
この記事を短くまとめると、以下の通り

645年 】の「乙巳の変」で、「中大兄皇子」と「中臣鎌足」に討たれ、非業の最期を遂げました。

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