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2018年7月17日(火) 放送 / 2018年7月22日(日) 再放送

円心は、常に足利尊氏と行動を共にしていました。鎌倉幕府を倒して後醍醐天皇による建武政権を樹立する際も、また天皇に反旗を翻して室町幕府を打ち立てる時も尊氏側に付きました。室町幕府の成立後10年を過ぎる頃から、将軍の尊氏と弟の 直義 ( ただよし ) の仲が悪くなり、「二頭政治」が揺らぎ始め、1350年からの観応年間に入ると対立が激化しました。この室町幕府の内紛を「観応の擾乱」と呼びます。尊氏と執事の 高師直 ( こうのもろなお ) に対して直義が、それぞれを盟主とする武士層を2分して各所で戦いを繰り広げました。最終的には、2年後の1352年2月、鎌倉で尊氏が直義を毒殺して乱は終息に向かいました。

坂本城は、この「観応の擾乱」の舞台にもなりました。1351年1月、京都で直義軍に敗れた尊氏は丹波を経て、赤松円心を頼って坂本城に落ち延びました。尊氏に従っていた高師直の兄弟・ 師泰 ( もろやす ) も美作軍を破ってこの城に入ります。2月には直義軍5000余騎が現加東市の光明寺にまで迫ります。これを尊氏軍が1万余騎で取り囲みますが、直義軍が坂本城を攻めるとの知らせで、尊氏は急ぎ兵庫で直義勢を迎え撃ちますが、大敗します。

赤松満祐の弟・義雅の孫・政則が赤松氏を再興した後も一進一退が繰り返され、応仁の乱では山名氏と対立する細川氏に付いて播磨を奪回しますが、再び山名氏が坂本城を奪い返します。この攻防は1488年、山名氏が内紛で播磨を撤収してようやく一時、収まりますが、1496年に政則が亡くなると「播磨錯乱」という内乱が起き、1522年、山名宗全の曽孫・ 誠豊 ( のぶとよ ) が坂本城を攻めるも敗退したとの記録を最後に、廃城したものと思われます。

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