ドイツ(19世紀後半)⑧ プロイセン・デンマーク戦争と普墺戦争
ビスマルクは、首都ウィーン攻略を進言するモルトケに珍しく耳を傾けず、寛大な講和ですませました。条件は、ナポレオン以来のドイツ連邦を解体し、オーストリアを排除、プロイセン中心の北ドイツ連邦の結成を認めることです。[中略] フランツ・ヨーゼフはこれに飛びつきました。しかも、以後のプロイセンはオーストリアと「運命共同体」のごとき同盟関係を構築していきます。ビスマルクは「同盟は御者と馬の関係である」と豪語していましたが、プロイセンをドイツの盟主と認めるならオーストリアは都合のいい「馬」だったのです。ウィーンの宮廷にも、ビスマルクと手を切りイギリスやフランスと結ぶべしとの声もあったのですが、皇帝は死ぬまで取り上げませんでした。
出典:倉山 満. 嘘だらけの日独近現代史 (SPA!BOOKS新書) (p.111). 株式会社 扶桑社. Kindle 版.
戦争後のドイツ圏の変化
- プロイセンの強力な拡張が行われた。ベルリンを中心としたドイツ東部から現在のポーランドにかけての本来のプロイセンに加え、ハノーファーなど西部にも領土を拡張、それまでのドイツ連邦の中心都市フランクフルトはその一地方都市に過ぎなくなった。
- 北ドイツ連邦の成立。 オーストリアを含んでいたドイツ連邦が解体され、オーストリアを含まない北ドイツ連邦が成立した。これは後のドイツ帝国の基礎となるもので、連邦議会・連邦宰相・連邦軍などはいずれもドイツ帝国に継承される。またプロイセンの圧倒的優位もそのままであった。
- 南ドイツの4主権国家の従属。 南ドイツのバイエルン、ヴュルテンベルク、バーデン、ヘッセン=ダルムシュタットは攻守同盟と関税同盟によってプロイセンと結びつけられた。
- オーストリア帝国の解体。 オーストリア帝国はドイツ国家との結びつきを失い、同時にオーストリア=ハンガリー二重帝国へと大転換を遂げた。
- イタリアのヴェネツィア併合 長かったオーストリアによる北イタリア支配が終わり、イタリア王国がヴェネツィアを併合した。
- 普仏戦争への前提 ビスマルクのプロイセンが実質的にドイツ統一の主導権を握った結果、次にナポレオン3世とのヨーロッパの覇権をめぐる争いにステージが変わる。わずか4年後に普仏戦争が始まる。
- 北ドイツ連邦についての詳細は《北ドイツ連邦<世界史の窓》に書かれてある。
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