. 1〜20 – ココロとカラダのセルフケア
1〜20 – ココロとカラダのセルフケア
1〜20 – ココロとカラダのセルフケア

ダンマパダ1章 1〜20

解説 泣いたり、怒ったりしても、憎しみや苦しみを克服できません。そもそも、その感情を作り出しているのは、自分自身の心だからです。過去の出来事の記憶に反応して、怒り続けているのです。相手はもうそんな出来事をすっかり忘れているかもしれないのに、いつまでも自分の記憶の舞台に登場させては、怒りをぶつけて断罪し続けているのです。しかしその断罪は、心の中だけで起きていることであって、幻想です。事実ではありません。よって現実は変わりません。いつまでも不満で、自分の心が汚れるだけです。

DhP.005 na hi verena verāni, ない 実に 恨み 恨みによって sammantīdha kudācanaṁ; 合議 いつでも averena ca sammanti, ない・恨み と 合議 esa dhammo sanantano. この ダンマは 永遠

解説 憎しみはさらなる憎しみを生むだけであり、友情・理解・善意によってのみ、憎しみをなくすことができます。

記憶は過去の記録に過ぎません。間違ったり、失敗したり、恥ずかしかったり、辛かったり、いろいろ修正したくなるものですが、書き換える必要はないのです。そのままスルーして、いま現在進行形の行為に、活かすようにすればいいのです。記憶は現在の事実ではありません。記憶を相手にしないことです。

DhP.006 pare ca na vijānanti, 他の と ない 理解 mayam ettha yamāmase; 私たちは ここで 自制 ye ca tattha vijānanti, 彼らは と そこで 理解 tato sammanti medhagā. それ故 鎮まる 揉めごとが

私たちはこの世で 自制すべきことを 理解していない。そのことを理解している人はだからこそ争いを鎮めることができる。

解説 争いはすべて「」のために起こります。大切な私私のもの私の財産・立場・仕事私の考えを守りたいがために、人は争うのです。「大切なあなた」も実は「大切な私のあなた」です。「私のなにか」が他者に奪われると、強い怒りや嫉妬を感じ、攻撃できると思ったら「争い」、攻撃できないと思ったら「悩み・苦しみ」になります。

しかし現実には、物も人も常に変化しているので「私を取り巻く状況」は刻々と代わり、「私のなにか」はなくなったり、失ったり、死んだりします。これはとても嫌なことなので、そのことを思うと憂い・悲しみが生じ、ますます強く守りたいと思うようになります。「執着」です。これが「この世で自制すべきこと」です。

これらの問題はすべて、心が作った幻想から生まれた「心に浮かぶ現象」でしかないのです。そのことに気づき、「私のなにか」にこだわらない人は、争いを鎮めることができるのです。

DhP.007 subhānupassiṁ viharantaṁ, 楽しみ・想定する 生きる indriyesu asaṁvutaṁ, 感情に支配 ない・抑える bhojanamhi amattaññuṁ, 食物において ない・適量を知る kusītaṁ hīnavīriyaṁ; 怠惰の 怠る・努力を taṁ ve pasahati Māro, 彼を まさに 圧する マーラは vāto rukkhaṁ va dubbalaṁ. 風は 木 ように 弱い

解説 マーラ:「ゴータマ・ブッダが悟りを開く際に、瞑想を妨げるために現れたとされる魔物」のことですが、「悪魔」のような存在ではありません。外部からやってくる何かではなく、私たちの心の中にある邪悪な部分、煩悩の象徴です。無我の境地に至ると自己が死滅することになるので、それを妨害しようと現れる心の動きです。

DhP.008 asubhānupassiṁ viharantaṁ ない・楽しみ・想定する 生きる indriyesu susaṁvutaṁ, 感情に支配 抑える bhojanamhi ca mattaññuṁ, 食物において 適量を知り saddhaṁ āraddhavīriyaṁ, 確信して ない・怠る・努力を taṁ ve nappasahati māro 彼を まさに ない・圧する マーラは vāto selaṁ va pabbataṁ. 風は 岩 ように 山

解説 ここでいう信頼とは、ブッダが教えてくれた道への信頼のことです。道をただ信じるだけで歩かないのではなく、道を信頼して自分自身で歩いて確かめなさい、ということです。

DhP.009 anikkasāvo kāsāvaṁ, 不浄心は 黄衣を yo vatthaṁ paridahessati; 人は 衣を 着るべき apeto damasaccena, 離れた 調御・真理 na so kāsāvam arahati. ない 彼は 黄衣 値する

エピソード デーヴァダッタは、ブッダの従兄弟であり弟子でもありましたが、とても欲深く、常に名声と富を求める男でした。ブッダの地位を狙ってブッダを3回も殺そうとした邪悪な僧侶です。ある日、デーヴァダッタはお布施として捧げられた高価な布を独り占めして僧衣を作りました。

DhP.010 yo ca vantakasāvassa, 人は と 排除・汚濁 sīlesu susamāhito; 規律を よく・心を定める upeto damasaccena, 従う人は 調御・真理 sa ve kāsāvam arahati. 彼は 実に 黄衣 値する DhP.011 asāre sāramatino, ない・真実と 真実・考え sāre cāsāradassino; 真実と と・ない・真実・見ている te sāraṁ nādhigacchanti, 彼は 真実には ない・到達 micchāsaṅkappagocarā. 間違った考え・餌

解説 本質的なものを無意味なものと勘違いし、実際には何もないものに本質があると考えてしまうと、真理には近づくことすらできないという教えです。あらゆる迷信がこの範疇に入りますが、この方向に迷い込んだ思考はより強くなり、増えていきますが、私たちの助けには全くなりません。

DhP.012 sārañ ca sārato ñatvā, 真実だと と 真実は 知っている asārañ ca asārato, ない・真実だと と ない・真実は te sāraṁ adhigacchanti, 彼は 真実には 到達する sammāsaṅkappagocarā. 正しい・考え・餌

解説 何が大切で何が虚しいことかを本当に知っていれば、本質がどこにあるかを知っていれば、それを発見できます。心を浄化したいと思ったら、どうすればいいのか、正しい手順は何なのか、慎重に判断し、理解しなければなりません。何が必要かを知っていれば、それを達成できる可能性があるのです。

DhP.013 yathā agāraṁ ducchannaṁ, ように 家 悪く・覆われた vuṭṭhī samativijjhati; 雨 通す evaṁ abhāvitaṁ cittaṁ, このように ない・修習する 心 rāgo samativijjhati. 貪欲は 通す

解説 屋根は、家にとって最も重要な部分です。屋根がちゃんとしていなければ、雨が降ったときに大変なことになります。それと同じように、心は人間にとって最も重要な部分です。もし、心がうまく機能していなければ、心も「雨漏り」します。欲望や憎しみなどが心に入り込みます。雨が降るたびに、心の修理にかり出され、肝心の心を浄化が難しくなってしまいます。

DhP.014 yathā agāraṁ succhannaṁ, ように 家 よく・覆われた vuṭṭhī na samativijjhati; 雨 ない 通す evaṁ subhāvitaṁ cittaṁ, このように よく・修習する 心 rāgo na samativijjhati. 貪欲は ない 通す

解説 家の屋根がよくできていれば、どんなに強い雨が降っても恐れる必要はありません。屋根がそれを支え、家の中は水浸しにならず、濡れもしません。同様に、心をしっかり育てようと意識して、心を研ぎ澄ませば、どんな情念も入り込むことができません。小雨が降るたびに屋根を修理する必要もなく、主目的である心の浄化に集中することができます。

DhP.015 idha socati pecca socati, ここに 嘆く 死後 嘆く pāpakārī ubhayattha socati, 悪人 両方で 嘆く so socati so vihaññati, 彼は 嘆く 彼は 挫折 disvā kammakiliṭṭham attano. 見て 行為・汚された 自分自身の

解説 悪事とは、肉体的であれ、精神的であれ、他の生き物を傷つける行為のことです。毛沢東、スターリン、ヒットラーのような世紀の悪人たちは、全ての影の背後に敵を見るような問題のある心を持っていました。悪事は「分断」を生み出し、最終的には社会から孤立することになります。

DhP.016 idha modati pecca modati, ここに 喜び 死後 喜び katapuñño ubhayattha modati, した・功徳 両方で 喜ぶ so modati so pamodati, 彼は 喜び 彼は 満足した disvā kammavisuddhim attano. 見て 行為・清浄な 自分自身の

解説 「良いこと」とは、すべての生きとし生けるものを様々な方法で助けること、他の役に立つことです。良いことをすると満足感を感じ、幸せな気持ちになります。なぜでしょう? 良いことをすると相手が喜び「つながり」ができます。つながりができることで、社会の中に自分の存在価値を見出すことができます。自分の外側に自分の存在価値を見つけることで、心が安心して癒されるのです。

DhP.017 idha tappati pecca tappati, ここに 焼かれる 死後 焼かれる pāpakārī ubhayattha tappati, 悪人 両方で 焼かれる pāpaṁ me katan ti tappati, 悪い 私の 行い こうして 焼かれる bhiyyo tappati duggatiṁ gato. より多く 焼かれる 悪道

解説 ダンマパダは、輪廻転生(すべての生き物は死後に生まれ変わる)を前提に語られているので、随所に輪廻が登場します。ブッダの教えは、「生きることは苦しみ」であり、輪廻転生が有る限り、死んでも生まれ変わって、また苦しむことになる。根本から苦しみをなくすためには、その輪廻のサイクルから外れ、「死んだら、もう生まれない」道しかない、という考えに基づいています。信じるかどうかはさておき、輪廻転生について関心があればこちら

DhP.018 idha nandati pecca nandati, ここに 嬉しい 死後に 嬉しい katapuñño ubhayattha nandati, した・功徳 両方で 嬉しい puññaṁ me katan ti nandati, 善い 私の 行い こうして 嬉しい bhiyyo nandati suggatiṁ gato. より多く 嬉しい 善道 DhP.019 bahum-pi ce saṃhita bhāsamāno, 多く たとえ でも 備えている 語る na takkaro hoti naro pamatto, ない そうする 存在 人 怠け者 gopo va gāvo gaṇayaṁ paresaṁ, 牛飼は ようだ 牛 群れ 他人の na bhāgavā sāmaññassa hoti. ない 共有の 出家修行者 存在

解説 牛飼いは貧しく、自分の牛を持っていないので、他人の牛を牧草地に連れて行くだけです。自分の行動から実利は得られません。同じ意味で、ブッダの教えについて語るだけで、自分で実践しなければ、他人のために仕事をする牛飼いと同じということです。

DhP.020 appam pi ce sahitaṁ bhāsamāno, 少し たとえ でも 備えている 語る dhammassa hoti anudhammacārī, ダンマに 存在 共に・ダンマ・歩く rāgañ ca dosañ ca pahāya mohaṁ, 情熱を と 怒りを と 捨てて 無知を sammappajāno suvimuttacitto, 正しく・自覚 よく・解脱した・心 anupādiyāno idha vā huraṁ vā, ない・執着 ここで あるいは あちらで あるいは sa bhāgavā sāmaññassa hoti. 彼は 共有の 出家修行者 存在

解説 「欲望、怒り、無知」この3つが諸悪の根源です。まずは、自分の心の中に自分が作り出すこの3つを捨てる。正しい知識を持って、心を解放する。あらゆることに執着しない。そうなれば、もう立派な修行者です。

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