. 2001年12月21日)で布教したくなるほど泣く - nerumae
2001年12月21日)で布教したくなるほど泣く - nerumae
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談志の芝浜(2001年12月21日)で布教したくなるほど泣く

ざくっとあらすじ

腕はいいが酒に溺れて仕事をしなくなった魚屋の勝(かつ)。女房にせかされてしぶしぶ半月ぶりに芝浜へ出向くと、ひょんなことから大金42両の入った革財布を拾う。 これでもう働かなくてもいいぞとばかりに勝は友人を呼んで飲めや歌えの大騒ぎ。翌日女房に同じように起こされ目を覚ましたところ、「そんな大金なんてどこにもないよ、おまえさん貧乏がすぎて夢みたんだろ」と女房。すべては夢だったのかと心をいれかえ人が変わったように働きに精を出す勝。 しかし3年後の大晦日、女房は「あの42両は実は夢ではなかった」と打ち明ける…

第三者視点での補足がほとんどなく、ほぼ勝と女房の会話

談志はこの芝浜にこだわって演じている。 聴いた感じ2001年以前の芝浜はもっと古典落語の形式にのっとって、耳だけでもわりとわかるように演じられている。 けれども2001年のこの芝浜では、芝浜を名古典におしあげたといわれる「芝浜の朝日を拝んで情景を描写する場面」がほぼそげ落とされ、補足もごく最小限に抑えられててシンプルにされている(そのぶん聴覚だけでは伝わりにくい演出もある)。 その代わり練るように長い尺で演じられているのは勝と女房の会話の部分、長い長い無言の間の部分。 最小限に抑えられているぶん、観客もその演じられている長屋の場にいて、談志を通して2人を見ているような圧倒的なリアリティを感じる。 なんというか、これが落語のくくりでいいのだろうか、というくらいリアル。

談志と桂三木助の美学

この「芝浜」を名演目に押し上げたのは(3代目)桂三木助という噺家。 ためしに桂三木助の演目も聴いてみた。 談志のを先に聴いてしまったせいもあるかもしれないけれども、確かに朝日ののぼる芝浜の描写は美しい、流れるような話の運び方はするすると耳に入るけれども、賢い妻がとんちを効かせて旦那をくるめ、真人間に戻らせる、という、やや教訓めいた話で完結している。

1, 働き者として迎える3年目の大晦日の夜 2, 愚鈍だけれども勤勉で勝を好いてやまない女房

談志の「女」がうまい

談志がどれかの演目前のまくらで、「女(の演じるの)ができねえって噺家もいるけれど」といっていた。 そのときは「ふーんなるほど演目のなかの女って難しいこともあるんだろうなあ」と思っていたけれど、談志は理論で分解してすべて落語を自分の中に吸収できる人なので、きっと演目上の「女」の演じ方についても徹底的に研究したんだと思う。 談志の演る「女」は、ものすごくうまい。

三木助はじめ他の噺家さんが芝浜の女房の造形を「できた嫁」として作り上げているのに対し、 談志の女房はあくまで、そのとき江戸のどこにでもいそうな、普通の、凡とした女房だ。 「窃盗がみつかれば死罪」と大家に脅されて、42両を隠して夢と偽ったときのことを、談志の「女房」は泣き崩れながらこう告白する。

このあたりなんて、「女房」が談志に憑いているんじゃないかというくらい、鬼気迫るものだった。 鳥肌が立った。 ほかの落語家さんてどういうものなのか私はわからないんだけど、談志の落語は同じ演目でもその都度内容がちがうとのこと。 ライナーノートで解説の川辺さんに談志が「キザな部分をいっさい演らず、ほとんどが成り行きまかせでやってみたら、馬鹿に良かった」と喋っている。

私芝浜の内容をまったく知らずにこれを観たのですが楽しめました。 むしろそのほうが楽しめるかも。 さらに1回観てから芝浜について知って、もう一回談志の「芝浜」を観ると、さらに楽しめると思う。女房が勝を起こすとこの長い長い沈黙の意味とか。 落語は短いものだと20分弱で終わる噺もあるので、スキマ作業とか通勤の合間とかにもおすすめです。 そして私同様どっぷりハマるといいよ。

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